2007年 08月 17日
キハ82系特急「おおぞら」全盛期 |
ちょっと大げさなタイトルですが、「おおぞら」が13連で走っていた全盛期の頃の時刻表より
列車編成表と写真を少々・・・
時刻表1976年10月号より
「おおぞら」3往復中、2往復が13両編成だった。
しかも全車指定席という「格」の高さ。
旭川行、釧路行の併結編成の13連では食堂車が3号車とかなり前寄りに偏ってしまっている。
3年後、1979年7月号時刻表より
旭川行、釧路行の併結13両編成のうち、旭川編成と釧路編成を前後入れ替えた。
食堂車が若干中央寄りになり利便性が向上したと思われる。
また各特急列車に自由席車が1~2両連結されるようになった。
以前UPしたのと同じ写真、苗穂付近の13連「おおぞら」食堂車が中寄りになった編成。
札幌駅でキハ56系急行と並んだ「おおぞら」
急行用のキハ56系と比べ、明らかにキハ82系には「特急」専用車両の風格が備わっている。
当時の「おおぞら」にとって札幌駅はまだまだ中間地点だった。
列車編成表と写真を少々・・・
時刻表1976年10月号より

しかも全車指定席という「格」の高さ。
旭川行、釧路行の併結編成の13連では食堂車が3号車とかなり前寄りに偏ってしまっている。
3年後、1979年7月号時刻表より

食堂車が若干中央寄りになり利便性が向上したと思われる。
また各特急列車に自由席車が1~2両連結されるようになった。
以前UPしたのと同じ写真、苗穂付近の13連「おおぞら」食堂車が中寄りになった編成。

札幌駅でキハ56系急行と並んだ「おおぞら」

当時の「おおぞら」にとって札幌駅はまだまだ中間地点だった。
by vanagon714
| 2007-08-17 00:07
| 鉄道
|
Comments(7)
堂々たる13両編成ですね。これぞ特急の王道とでもいいましょうか。最近は2両編成の淋しい特急もありましからね。
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これです!往年の【白鳥】、【かもめ】、【日向】+【なは】も13両の食堂車付き編成だったと思います。
【白鳥】なんて、大阪から直江津で分割され、信越本線で碓氷峠を通って上野へ行く編成があったといいます。昔はとんでもない経路を走っていくおもしろい列車がいっぱいありましたね。【かもめ】も、佐世保編成は筑豊本線経由で、鳥栖~肥前山口間は、同じ名前の【かもめ】が同じ方向に2回走っていった(長崎編成と佐世保編成)らしいですから、ちょっと混乱したかもしれません。
【白鳥】なんて、大阪から直江津で分割され、信越本線で碓氷峠を通って上野へ行く編成があったといいます。昔はとんでもない経路を走っていくおもしろい列車がいっぱいありましたね。【かもめ】も、佐世保編成は筑豊本線経由で、鳥栖~肥前山口間は、同じ名前の【かもめ】が同じ方向に2回走っていった(長崎編成と佐世保編成)らしいですから、ちょっと混乱したかもしれません。
82系が一世風靡していたこの時代が懐かしいですね。ボックス席の普通・急行列車とは明らかに別格で,クロスシートがいわば特急の証のようなものでした。
80系の分割・併合では電源の供給もある程度独立していたので,夏季の冷房トラブル等が起こると数両ブロックで非冷房になったりしてました(^^)。
80系の分割・併合では電源の供給もある程度独立していたので,夏季の冷房トラブル等が起こると数両ブロックで非冷房になったりしてました(^^)。
>同じ名前の【かもめ】が同じ方向に2回走っていった・・・
これはビックリですね!知らなかったら間違えそうです(^^;;;;
「さくら」などは肥前山口で分割・併合してませんでしたっけ??
>クロスシートがいわば特急の証のようなものでした・・・
仰るとおりです。白いカバーの付いたクロスシートは別格でしたね。
今のリクライニングシートに比べると全然見劣りしますが枕と肘掛に付いた白いカバーは「格」がありましたねー
これはビックリですね!知らなかったら間違えそうです(^^;;;;
「さくら」などは肥前山口で分割・併合してませんでしたっけ??
>クロスシートがいわば特急の証のようなものでした・・・
仰るとおりです。白いカバーの付いたクロスシートは別格でしたね。
今のリクライニングシートに比べると全然見劣りしますが枕と肘掛に付いた白いカバーは「格」がありましたねー
>「さくら」などは肥前山口で分割・併合してませんでしたっけ??
たいていの場合は肥前山口まで一緒に行きますが、【かもめ】の場合は、佐世保編成が、博多を経由せずに筑豊本線を経由しました。なので、博多を経由する長崎編成とは、小倉から西は別行動になってました。
たいていの場合は肥前山口まで一緒に行きますが、【かもめ】の場合は、佐世保編成が、博多を経由せずに筑豊本線を経由しました。なので、博多を経由する長崎編成とは、小倉から西は別行動になってました。

