記号の説明 |
米原さえ通過してたんですね。北陸本線からの乗り換え客を拾う必要はなかった?
すごい距離走るんですね。こういう列車で「旅」をしてみたい。
大阪駅って、上野駅みたいな行き止まりじゃないんですが、北陸方面の列車と福知山線、播但線の列車の始発駅だったんです。そこに加えて東海道、山陽方面の列車も加わるから、①~④、⑨~⑪番線には長距離優等列車がひっきりなしに発着しておりまして、飽きなかったですね。特に長距離客車急行はすべてと言っていいくらい、編成が列車によって違っていたので、興味は尽きませんでした。冬には、北陸や山陰から到着した列車は、屋根にいっぱい雪を積んで、足元も雪まみれ。不思議と、ディーゼルカーよりも、485系や475系電車の方が雪まみれでしたね。ディーゼルカーはエンジンの熱で多少なりとも雪の解けがいいのでしょうか?
当時の153系急行にはまだサハシは付いてましたか?
電車はいずれにしてもエアサスだから、急行用DCは予算がなかったのかな?それにしてもサハシが2両なんてすごいですね。1両が「すし」でもう1両が「そば」なら最高! ってなわけないか。
そう、ただし151/161系から改造された車。元々181系として製造された車は485系と同じ台車履いてます。153系や、151/161系がはいていたエアサスの方が、あたりが柔らかかったように思います。
>1両が「すし」でもう1両が「そば」なら最高! ってなわけないか。
東海道が「すし」で、東北、北陸など交直両用急行電車のサハシでは「そば」って聞いたことある。