中央バス ふそうB8 |
よく見るとヘッドライト、行灯まわりが複雑なデザイン。
それまでのタレ目型のライトベゼルも選べたらしい。
1977年撮影。
グレードの高い車なので日航に使われたかもしれませんね。
写真の車は7-1408なので滝川あたりから来たのかもしれません。
日航車は呉羽ロマンス、富士重ロマンス(どちらも路線顔)があったようですが、76年秋からの準高速車導入で比較的早く転籍となった模様です。
末期では93年セレガがスーパー用の高出力エンジンを持っていました。
市営は高出力志向だったんですね。藻岩山を楽に登りたかったのでしょうか?
5-1407,1408,1414 B805N呉羽ロマンス3両(うち日航1)
5-1417〜1420 B805N富士重ロマンス4両(うち日航3)
7-1409〜1413,1415 B805N呉羽リクロマ6両(岩見沢貸切)
1-1421,5-1422,7-1423〜1425 B805N富士重リクロマ5両(貸切)
がふそう車のようです。
日航車は78年までには全車準高速車に切り替わるのでおそらく日航車としては1〜2年の活躍だったろうと思われます。
ところでこの時代の日航車の「運賃箱」は覚えていらっしゃいますでしょうか。私の記憶だとこの頃までは降車ボタンなしの車が多く、運賃箱は手持ちの簡易式だったと覚えています。硬貨や紙幣は嫌われ、道庁前日航札幌支店で乗車券を買うように案内があったように思います。
札幌駅乗り入れや途中停留所(乗り降り制限あり)ができたのは78年頃でしょうか。
あまり記憶にないですが、当時の路線用の手動式とはまた違ったものが
付いていたんでしょうか。
料金箱のない車に乗ったような気もしますが・・・
空港にバスで遊びに行くときは行き→北都(全日空)、帰り→中央(日航)
という感じでした。
288号は降車ボタンがついてましたが、後からつけたのかもしれませんね。
日航車の運賃箱ですが、手持ちの簡易式で正解です。朝、東60で札幌駅まで営業してくるので、カバンに回数券と両替用の小銭を袋詰めにして入れてありました。降車ボタンも簡易式?(車掌ボタンと同じ方式)で、メモリは付いておらずボタンを押している間ずっと鳴っていました。
ということは平岡時代は1年足らずですね。77年に平岡と月寒が入れ替わっているのでその時千歳に転出したのでしょうか?
押したときだけ鳴るブザーってありましたね。
288号のグレーボタンもそうかもしれませんね。