ED76-500 |
suzuran6さんのブログに模型が出ておりましたので遅ればせながらコラボいたします。
再掲載の写真と合わせてED76-500の現役時代を懐かしみたいと思います。
まずは動画をどうぞ。
苗穂駅に到着した521号牽引の51系客車4両編成です。
183系「おおぞら」釧路行が通過していきます。
その後ED76521客レの発車シーンです。
ED76-502牽引の旧客列車です。
貨物を牽引してきました。
508牽引の普通列車です。
札幌駅に停車中です。
こちらも郵便車、荷物車と続きます。
新雪を蹴散らして504がやって来ました。
90年代のED76500終焉の時にもう少し撮影しておけばよかったなあと悔やみます。
いつもそんな感じですが・・・
既に過去帳となって久しいED76-500番台機関車と、いわゆる「レッドトレイン」の50系51形客車、91年頃撮影という事はこれらの末期の頃に当たりますね。
70年代後半に登場し、主に沿線住民の足として活躍した「レッドトレイン」の50系客車ですが、起終点駅で機関車を付け替える煩わしさなどの要因から、北海道内に限らず全国的にこの頃に相次いで運用を終了し、廃車も新製から15年前後にもかかわらず大量に生じました。
そう言えば、ED76-500機関車+50系51形客車のコンビと言えば岩見沢を拠点に、函館線を中心に活躍し、特にラッシュ時では7~8両前後で運用されていた程で、同線の各駅のホームが長めなのはその名残りなのかも知れませんね。
貫通型になっているのは重連運用で貨物輸送を考えていたのかと思います。
函館本線電化開業時はまだまだ石炭列車もあったのでそういう考えだったのかもしれませんね。
試作機関車がED75501だったのも関係しているかもしれません。
最初から非貫通は考えてなかったのかもです。
仰るとおり隙間風は多少入り込んで冬場は寒かったのかもしれませんね。
大きなボイラーを積んでいるので暖房は強力だったとは思いますが・・・
赤い51型客車とED76500はぴったりな組み合わせでしたよね。
機関車も客車も早々に廃車になってしまったのは残念です。
客車は旧客時代から8両くらい引いてましたよね。
4両はちょっとさびしいですが当時撮影した動画ではすべて4両編成です。
たしかに函館本線のホームは長いですよね。
画像は夕方の撮影なので仰る手稲行の列車かもしれませんね。
4両編成ばかり見かけたので休日の撮影のようです。
8両編成はたしかに見ごたえがありましたよね。
今でもED牽引の客車列車が走っていたら楽しいだろうなあと思います。
たしかに九州のED76とはまったく違う機関車ですよね。
むこうはまだまだ現役なのが嬉しいですね。
おじゃまします。
私は住んでいる場所柄、交流専用機を見かける機会がなく、一枚も撮った事がないので
画像や動画を見ていて楽しかったです(^^)
個人的には貫通扉横のカバー付タイフォンが印象的です。
確か、この形式から青函用に改造されたのでしたっけ?
コメント等拝見していると、活躍は比較的短かった様子で、何か勿体無い感じですね。
動画の短い4両編成の50系客車を牽引しているのが、なんとも寂しい印象で
普通客車列車の末期感が漂っている様に見えてしまいました(T-T)
レッドライン
イメージ的には電化区間のニセコやスハ32系のイメージが強いですが,末期の51形も良い感じです。
腐食のためか,70年代中頃にブロックナンバーに換装されていますね。
ED76500のタイフォンにはよく騙されました(笑)
「フォーン」と発車の合図が聞こえたので気動車と思いきやED76500が
やってきたりですね。
青函用にはたしか1台だけ改造されてたと思います。
ED76500が活躍した期間は25年前後かと思います。
いちばん華があったのはやはり夜行急行を引いていたときですね。
ほんと馴染み深い機関車でしたよね~
電気機関車がこれしかなかったというのも今考えれば貴重でした。
私も旧客や夜行急行の先頭に立つ姿が印象に残っています。
51型は色がピッタリでしたね。
切り文字ナンバーは腐食しやすいのですかね?
動画の521では貫通扉になにやら手すりのようなものが付いているようで
気になります。
晩年の急行「大雪」HMステーですね。末期の写真も出てきましたのでコキボさせていただきますね。
’90年頃から度々北海道へも赴くようになったのですが、何故かED76に関する記憶がありません。多分、ED76に牽かれた51型客車も含めて、一度も乗車経験がないのでしょう。
岩見沢でEDが休んでいる姿だけは何となく記憶にあります。確か民営化直前の時だったような……。
本家の0番代は今なお九州で活躍しているのに、500番代だけが先に淘汰されてしまったのは残念です。短命でしたね。
yrr03464さんのコメントに拠れば、急行「大雪」にも使われていたとのこと。言われてみれば、旭川までは牽いていた訳ですよね。道内の夜行列車も色々乗ったように思うのですが、「大雪」だけは乗っていません。今思えばED76を避けて通っていた(?)のかなぁと思ってしまいます。
現在、机の上にはバラバラになったED76が転がっております(笑)
スカート・パンタ・碍子…色々と交換したくなって来て、収拾が付きません(汗)
51系も揃えなくてはいけないのかなぁ~
ED76-500も早くになくなってしまいましたね。
蒸気時代から散々見ていたのに写真はほとんどありません(泣)
あの甲高いホイッスルの音が好きでした。
N市を走るロクヨンもあの音なので鳴っていると思い出して懐かしいです。
ED76500は早々と引退してしまいました。
もし東室蘭~函館間が電化されていたら今頃は青いED76500が北斗星や
カシオペアを牽引していたのでしょうね。
私の記憶では「大雪」のほかに「利尻」も牽引していました。
旧客+10系寝台を引いて早朝に走ってくる姿が目に焼きついています。
ED76500の客車列車はたくさん走ってましたよね~
スハ32などの旧客を引い走っていくのはあまりにも日常的光景でしたから
カメラを向けなかったのでしょうね。
甲高いホイッスルやタイフォンは懐かしいです。
ロクヨンのホイッスルも聞いてみたいです。
またおじゃまします。
お話から察するに、あの印象的なタイフォンから発せられる警笛は、特急車の様な音だったのですね(^^)
近くで聴いてみたかったです(泣)
青函用に改造された一台だけでも残っていてくれたら聴けたかもしれないですね。
たらればのお話で恐縮です。
レッドライン
その通りです!
このタイフォンの音は特急も含めてディーゼルカーのような音ですね。
もちろん甲高いホイッスルも付いていたのでピーッという音の時もありました。
極寒冷地なので複数の方式を使えるようにしていたのかもしれませんね。
貴重な動画をありがとうございます。
こんな音で発車していったな~と懐かしみながら拝見いたしました。
当時はDD51と共に珍しくない機関車だったので記録がほとんどありません(泣)
かろうじて撮ってあったモノクロ画像でコラボさせていただきました。
コラボありがとうございます。早速拝見しました。
私もED76500動画、まだまだ撮れたはずなのにまともに写っているのはこれだけでした・・・
当時もう最後の活躍だったのにもっと記録しておけばよかったです。
チョッパ制御なのにウォーンと吊り掛け音、ED76500って不思議な感じですよね~
砂川駅や滝川駅で、またその周辺でよくED76 500をみていましたが、車体が長くてスマートに見えるのでカッコイイ機関車でしたよ。
コメントありがとうございます。
連結器が外れるアクシデントを経験されたのですね。
貴重な体験ですね!
今なら「またJRが・・・」と騒がれそうです。
ED76は仰る通り長い車体がカッコいいですよね。
長さだけならF級ですね〜
今考えても、不思議な体験です。はっきり覚えているのは・・・
1・連結器が外れて、先行客車が遠ざかるのを見ながら、客車がゆっくり停車したのと。
2・誰も特に騒がなかったこと(乗客は何事もなく平然)
3・通路口から線路が見える(当然か!)
最近、母に聞いたらあぁ、確かにそんな事もあったねぇ だってさ。
1〜3を想像してみました。
びっくり仰天の出来事ですね!
乗客が平然としていたのは不思議です。
切り離れた客車が遠ざかって行くのはなんとも寂しい気分になりそうですね〜