中央バス 北1条バス停にて |
背景には永らく親しまれた市民会館に変わって新しい市民ホールが見えます。
2007年1月に撮影した市民会館背景の写真です。
赤白キュービックの1516号も懐かしいですね。
先日、赤白ブルリの1109号を見かけました。
すーさんが書いておられますが、1109号のテールは、N市では殆ど目撃例がありません。自家用バスで2~3台、このタイプのものがあったように記憶していますが、今では見かけなくなりましたね。
札幌では当たり前の形状だったのかも知れませんが、私にとっては大変珍しいタイプです。
わたしも72番を通学その他でいつも利用していました。
昔は15分ヘッドで運行していたのでとても利用しやすかったですね。
赤白の塗装はいつ頃からなのでしょうかね?
少なくとも1950年代後半には採用されていたのではと思うのですが・・・
中央バスでは3連テールを採用していたので、田の字テールもその流れなのでは
と思います。
中央バスでは後方の車に注意を促す目的で大型のテールを採用したのでしょうね。
一方市営バスでは長らく米粒テールでしたが1109と同時期の車から大型テールに移行したようです。
この田の字のテールですが、セレガがJバスになる前の前のタイプ(初代セレガかなー?)のテールでしたよね。観光タイプセレガの専用なのかな?と思っていました。初めて見た時「いろいろ考えるものだなー」と感心した覚えがあります。
おさかなさん、おはようございます。たしかにM鉄が三菱車が多いN市では見る機会が少なかったでしょうねー。でも名阪近鉄がこのテールでした。バスの仕事で東名を下って名古屋が近くなってこのテールを見かけると、ほとんどの場合、近鉄の息のかかった会社だったように思いました。
これからの雪のシーズンにはピッタリですね~。
これももう直ぐ見られなくなるのは残念です。
市民会館も馴染みがあったので残念です。
中学校の必修クラブの演劇発表会はここのステージでやったので懐かしいです。
中央の田方テールは85年式(43××)あたりから導入されたと思います。
日野車体の路線車はこれ以降全部田方テールだったと思います。
高速車は一部(88年式の30~40番台)にフラッシャーがあったと思います。
札幌市民ホールなんですが、老朽化した市民会館を建て替える意味で作られたと思います。まだ外観しか見ていないのですが、中味も相当新しいでしょうね。
市民ホールからやや離れた教育文化会館や厚生年金会館も老朽化しつつあるので、僕としては「公共」よりも「民間」主体の音楽ホールとして建て替えてほしいですね。
日野の田方テールですが、じょうてつでも乗合車は1992年~2000年前半にかけて、貸切車は1987年~89年当たりにかけてそれぞれ自社発注の形で導入。2000年には美鉄バスから1990年式の車両1台がこちらへ移籍して、現在は定山渓温泉をPRするラッピング色として在籍しています。
中央バスやJRバスの田方テール車も過去に数回乗った経験があるので詳細は後日コメントや自分のHPの特集で企画したいと思います。では、失礼します。
仰るとおり田の字テールはたしかに観光タイプから始まりましたね~
たしかセレガになる前のブルーリボン観光型に採用されたのではと思います。
三菱エアロや富士重工R3などリアビューが個性的になり始めたころですよね。
4個のランプを田の字形に並べるのはちょっとビックリでしたね~
今の会館もまた建て替えられるようですが,その時は赤白車は壊滅していることでしょうね。
ほんと、まもなく赤白が消滅するのは残念ですね~
これからの雪景色にも赤白塗装は映えますね。
最後の冬になるのでしょうね・・・
市民会館は中学時代は北電ファミリーコンサートを見によく来ました。
慣れ親しんだ建物が無くなってしまったのは残念ですね~
そういえば中央高速車の3連テール付きありましたね~
なんか違和感がありましたね。
市民会館も耐震強度が確保されていれば存続したのでしょうね。
その奇抜な外観が強度不足を招いたのかもしれませんね。
札幌市でも直下型の大地震を想定しているので強度不足の市民会館を残すわけには行かなかったのでしょう。
じょうてつバスはほとんど分からないのですが田方テール車はよく見かけます。