ブラ小樽 入船陸橋今昔物語 |
札幌方面行の721系電車がやってきました。
最初の入船陸橋は1880年に木造の橋として完成しました。
幌内鉄道の手宮~熊碓間が先ず完成、弁慶号が試運転走行しました。
この橋の上で停車して記念写真を撮ったそうです。
当時の様子は手宮の小樽市総合博物館にて模型で再現されています。
機関車の一番前には鉄道技師のクロフォードさんと現場の陣頭指揮を取った松本荘一郎さんが座っています。
今から130年ほど前の同じ場所における光景です。
同行のブラ友T君が記念撮影の定点を調べています。
下から見上げてみます。
海に面し冬も厳しい環境を考慮すると木造橋は耐用年数が短かったことが想像できます。
実際には10年もたなかったかもしれませんね。
入船陸橋の橋脚です。
年表を見ると25年後の1905年に山線が開通して南小樽で幌内鉄道に接続しています。
その時に完成した橋脚を今も使っているのかもしれませんね。
こうしたブラ旅の醍醐味は、自分の見たいものを見たいだけゆっくり観察できることだと思います。vanagonさんは観察される目がいつも鋭いと思います。それだけに、このブログを拝見すると、歴史や現在との比較などが手に取るように判って楽しいと思います。
意義のある記事を拝見させて頂き、有難うございます。
実は私も今まであまり深く考えていませんでした。
仰るとおり徒歩で回るブラ旅ならではの発見ですね。
過去の痕跡を探したり現在の景色を楽しんだり・・・ブラ旅もいろいろですね。
なにかひらめいたときには脳が活性化するのでしょうね~
古地図を見ながら考えるのもまた楽しいですね。
いや~もうお宝ザクザクです(^^)
視点を変えると町歩きもこんなに楽しいものなのですね。
>散策中に迷ってしましそうです・・・
そうなんですよ(笑) 狭い路地を入っていったら行き止まりとか、階段を登って
通り抜けられると思いきや行き止まり・・・というのがよくあります。
時間が許されるならじっくりと出かけてみたいですね。
SL時代には親戚がいたのでよく行きました。
今はその頃の小樽とは違い観光的な面が多くなり、当時を知る者としては残念ですが、ブラブラするとまだたくさん当時の面影が残っているので嬉しいですね~。
見てて楽しいですよね。
鉄道のことは良くわかりませんが、私の地元も炭鉱で鉄道の
整備は全国的に早かった(田舎の割りには)ので
色々調べてみるとこのような建造物って結構多いのかも
しれません。
130年前と比べられるなんて面白いですね。レンガ積みの橋脚も歴史を感じます。新幹線のトンネルのコンクリートがはがれた等、たまにニュースになりますが、きちんと作った昔の物の方がしっかりしている場合があるなーと考えさせられる時があります。でもこの高さの木橋はちょーっとこわそうですね。静岡鉄道駿遠線の大井川の木橋が制限速度20キロ位だったと思いました。これはどうだったのでしょうねー。重たいSLが載って・・・心配になります。
そういえばiidukaさんのブログにあった日田彦山線のアーチ橋も歴史的に
貴重な建造物らしいですね。
明治や大正の痕跡を探すのもまた楽しいですね~
折尾駅の鉄道立体交差も日本最古のものらしいですよ(^^)
最近は10年もあっという間だなあなんて感じますが130年はさすがに長いですよね~
町並みもガラリと変わって昔の名残がほとんど無くなってしまいますね。
木造橋はたしかに弱そうですね。腐ったら計算通りの強度が保障されません。
弁慶号は小さくて軽そうですがD51だともたないのではと思います。
こんばんは!ごめんなさいね!m(_ _)m
1番目の写真は、何回見ても、電車が何処に居るのかなって?
恐怖になります。
あの鉄橋?でいいのかな?σ(^-^;)
凄いですね~
あそこは、私は、目を閉じて通過です(笑)
昔の方は、あの鉄橋?
良く作りましたね~脅かされました
(><;)
1枚目ですが、右のマンションの下の方に小さく写っています。
ちょっと見え辛くてすみません(^^;;;;;
実は弁慶号と同じくらいの場所で撮ったつもりなんです。
入船陸橋は小樽の入船町という町に掛かっている橋なのですが、谷を跨ぐための
橋なので陸橋と呼んでいます。
昔は小さな川も流れていましたが今では暗渠になってしまい道路が走っています。
ご教示ありがとうございます。