キハ82系「おおとり」と「オホーツク」 |
再投稿の写真ですがよろしければごらん下さい。
キハ40系330番台さんにコラボしました。
北見近郊を走る札幌行16D「おおとり」
北見駅を出発した16D「おおとり」
北見郊外を行く札幌行32D「オホーツク」
札幌駅に停車中の31D「オホーツク」
撮影したのはつい先日のような感覚ですが・・・30年も経ってしまいました。
上川に到着する16D「おおとり」です。
上川に停車中の31D「オホーツク」です。
手持ち無沙汰の乗客は外に出てブラブラしています。
この後30分ほど遅れて出発しました。
こちらは食堂車キシ80の車内です。
移り行く車窓を眺めつつ頂くのは最高でした。
『おおとり』が毎日実家の前を走っていたのを思い出します。
食堂車も付いて風格がありますね。
絵柄なしのシンプルなヘッドマークも懐かしいです。
コラボありがとうございました。
キハ82系が走ってる様子は、見たことがなかったのですが、2年前に、三笠鉄道村に行き、キハ82系を見たので、昔は、こんな車両が走ったんだと思ってました。
「おおとり」ですが、今年3月21日に函館~網走におおとりが走りました。
ダイヤは秘密だったので、2149Mに乗って苗穂へ向かい、苗穂で、撮影しました。
明日、撮影に行くのですが、大麻駅で撮影はしません。苗穂で撮影します。
小樽廻り(山線)から定期運行の特急・急行が廃止されましたが「おおぞら」や「おおとり」と同じ車両が走っていたとは思えないくらい今の山線沿線は閑散としています(寂)。
食堂車、一度は乗ってみたかったです^^
また、初渡道の時の話になりますが、私が青函連絡船を降りて、函館駅ホームで待っていたのが82系特急の「北斗」とDD51に牽かれた14系客車の「ニセコ」でした。当時の周遊券では、急行しか乗れませんでしたので、残念ながら北斗ではなく、ニセコの方に乗車して目的地へ向かったものです。
でも、ホームで10両くらい繋いで堂々と待つ82系北斗は、貫禄がありましたね。キシも勿論、連結されていました。
ちょうどこの頃、山線経由の「北海」には183系の試作編成が1本だけ入っていて、雑誌でしか見たことのない183系気動車とすれ違った時には「おっ」と声まで出てしまいました。
記憶に新しい筈の“初渡道”なんですが、確かに、27年の歳月が経っております……(汗)
旧線を走るキハ82「おおとり」も懐かしいですね~
私が初めて乗車したのは「エルム」でした。
車窓から実家がチラッと見えて喜んでいました(笑)
食堂車も連結されて特急らしい風格がありましたね。
三笠のキハ82系はかなり傷んでいるようで、車内もアスベストの関係で公開しなくなりました。
同じ世代の車両でも鉄博の485系などピカピカで大事にされているのは羨ましい限りです。
今のディーゼル特急の礎になった歴史的価値の高い車両なので大切に保管してほしいものですね。
臨時の「おおとり」はキハ183系国鉄色でしたか?
私も何年か前に撮影しました。
「北海」懐かしいですね。
中学時代、札幌駅で初めて撮影したのが「北海」の出発シーンでした。
函館本線のみ全線走行する唯一の特急でしたね~
夏季繁忙期は網走まで延長運転されたらしいですが、なぜか北見で撮影できませんでした・・・
食堂車も良かったですね~
小樽回りの「ニセコ」や「北海」も無くなってしまいましたね。
私も183系「北海」に1度だけ乗車したことがあります。
夜間走行だったので暗闇でエンジンだけが唸っていた記憶があります。
「北斗」の食堂付10連は貫禄がありましたね。
中間にキハ82が入る長大編成は大好きです(^^)
私は勤務先転勤の命により一時期上川町に住んでおりました。
当時独身だった私の休日の楽しみは、カメラを持って石北線の列車撮影が日課で、特に伊香牛~上越(信)間で「おおとり、オホーツク、50系PC、単行急行大雪、貨物」等を追った日々を思い出しました。
また食堂車が廃止されるので、食事目的のみで上川から北見までオホーツクに乗車、帰りは夜行大雪でUターンと強硬行動もしました。
石北線82系DC特急定期運用最終日や、おおとり 最終日も上川駅で見送りました。
当時地元で同系ファンは私一人でした。(笑!)
上川での画像と食堂車の車内追加しました。
私も学生時代北見在住でしたので石北線には愛着があります(^^)
83年に北見を離れたのでその後の撮影は出来ませんでしたが・・・
キハ82の最終や「おおとり」の最後に立ち会っていたら泣いたかもしれません。
せめて「オホーツク」は末永く走り続けてほしいですね。
上川は石北峠の手前で、下り列車だとこれから山越え、上り列車では峠を越えて
旭川まであと一走りという感じの駅ですよね。
それまで快調に飛ばしてきたキハ82系も上川を出るとガクンとスピードが落ちてエンジンを
唸らせながらゆっくりと登っていきました。
たぶん最新のキハ261あたりだと簡単に登るのでしょうね。
今から30年位前でしょうか?某鉄道誌の列車追跡のコーナーでキハ82の列車名忘れましたがその食堂車でイカとホタテの料理で一杯やっている写真がありました。いつか絶対これをやるんだ!と思っていたのですが、いまだに北海道行ったことありませんし、道内の特急から食堂車も無くなってしまいましたね・・・・。
イカとホタテの料理で一杯・・・いい話ですね~(^^)
「おおとり」もフルに乗車すると、たとえば15Dはお昼ちょっと前に函館を出発して
終着網走には夜の10時ですから、食堂車で一杯やらないと間が持たないですね。
食堂車が廃止になって久しいですが長時間乗車の列車では是非復活してほしいものですね~
こちらにお越しの節は「遠軽のカニ飯」をご馳走したいと思います(^^)
画像5番目は退避中の旧客最後部から撮影してますね。私が在住時代
普通PCは51系化され、82系のHマークもデザイン化後でしたので羨ましいです。
画像6番目の上川駅構内懐かしいです。説明文を見て納得ですが、通常下り列車発着は左隣の一番線を使用します。2番線は上り線用ですので、このように旭川方車両の尾灯点灯シーンは珍しいです。
上川駅は1番から3番線まであり全て上下どちらへも発着可能でした。 説明文では同駅発車後引き返したとのこと、その場合当然上り列車ですから2番線に到着し転線せず折り返しさせたのでしょうね。
画像7番目はキシ80の車内 いいですね。私は現役時代のキシ車内を撮影したことはありませんでした。
そういえばキシ80の異端車 37 は目撃されたでしょうか?
残念ながら私はありません。窓は583系のサシと同じブラインド式でしたよね。
それこそ当時その情報をキャッチしていれば追跡してたのですが・・・
出来れば解体せず小樽か三笠で保存して欲しかったです。
ご指摘の通り5枚目の画像は旧客、たしかスハフ32の最後部から撮影しました。
冬の旧客は蒸気暖房が暑いくらいポカポカでした(^^)
上川に引き返した「オホーツク」ですが、ご指摘のとおり1番線に戻らないで
2番線に戻ってますね。
ご教示いただき気が付きました(^^;;;;
たしか定刻に上川を出発したのですが構内を出たあたりで程なく停止、「機関不調のため上川に引き返します」との案内がありました。
構内に止まっていたDD51の機関士さんが「大丈夫か?」と言わんばかりに笑ってました~
非力な82系ですから1台でもエンジンが調子悪いと石北や常紋越えはきついのでしょうね。
キシ80の車内は同じ「オホーツク」で撮影したものです。
たしか初期の車だったように思います。
37号は意識したことが無く、またブラインド式の窓も記憶にありません。
窓が天地方向に少し大きいとのことで、キシの写っている写真を探してみましたが
該当車両は無いようです。
私も実車を見てみたかったですね~
私の場合、東札幌時代は無縁の存在でしたが北見に住むようになってからは
「おおとり」「オホーツク」はよく利用しました。
特に「おおとり」はロングランですから食堂車の連結は不可欠ですよね。
一度だけ北見→登別まで乗車しましたがけっこう疲れました。
進行方向も2度変わる唯一の体験でしたね~(^^)
最近行っていないのですが上川駅は今も変わってないのですね。
仰るとおり本来はキハ80系と呼ぶのが正解かもしれませんね。
私の想像ですが『はつかり」型登場時はキハ80系と呼ばれていたのではと思います。
中間車も含め大幅に改良した「白鳥」型が登場した際にキハ81系、82系と分けて呼ぶようになったのではと思います。
その後に登場する系列は先頭車の型でキハ181系、183系などと呼ぶのが標準になったようですね。
こんな感じかと思いますがいかがでしょう。