カタログ写真のUD、6RA110 |
自動車ガイドブック68-69に傾斜窓ですが扇形窓車が掲載されていました。
窓が小さく深い屋根と相まってモノコック車の良い雰囲気が感じられますね。
写真を見た瞬間に「うわっ、懐かしい!」と声を出しそうになりました。最後部の扇型窓も大変懐かしいものですが、私は側面客室窓の傾斜型に目を奪われました。
60年代後半に作られた観光仕様のバスで、この傾斜窓を用いた車両をよく見かけたように思います。当時はどこのメーカー製かまでとても考えもしませんでしたが、富士重工のボディだったんですね。
75年(当時小6)に市内の小学生を集めてスキー教室が開かれたのですが、その時に乗ったT濃鉄道のバスのことで最近ちょっと気になっていたんです。あの傾斜した窓はどこのメーカーだったのかなと。この会社は当時は特に系列会社に属していた訳ではなく、在籍車が全ていすゞだった記憶があります。UD同様に富士ボディを架装していたのか、或いは別のボディだったかと時折思いを巡らせていましたが、この写真ではっきりしました。
モノコックボディも最近めっきり見る機会が減りましたよね。貴重な写真記事に“感謝”です。
傾斜窓は60~70年代の流行でしたね~
ほとんどの車体メーカーで採用していたのではと思います。
おそらくはアメリカのグレイハウンドの影響ではと思われます。
この傾斜窓によって側面にスピード感が出ますよね。
仰るとおり富士重工ボディは特に傾斜窓が多かったような気がします。
フロントやリアのデザインとの相性が良かったのでしょうね~
正直言いますと、私はこの頃の世代なので詳細が解らないのは申し訳ないのですが、最新車よりも古い車両にそそられるのが本音です。
赤白車も新車や中古車両の置き換えで減りつつあるのも残念ですし、青窓セレガも置き換わってしまうのと、新塗装元年車も退役となる日も近いとなると寂しいものです。
ただ岩見沢に札幌22か2957が配置されたときは嬉しかったですね。
この頃のモノコック車が一番面白かったかもしれませんね~
私も小学校時代の車なのであまり記憶が定かではありませんが、
遠足と言えば定番はUD観光型ロマンスでした。
小学校5~6年の頃に来た天窓付車(たぶん夕鉄)はよく憶えております。
中央の赤白車もいよいよ残り少なくなってきて、ひとつの時代が終わろうとしているのでしょうか?
今の新塗装車が初めて入ってからでも既に15年ですから・・・早いものですね。
日野の89年式が完全に無くなり、おでこの赤い塗りが見られなくなりました。
いすゞも11-03号が引退してキュービック赤白は15-19のみとなりましたね。
赤白車がなくなると、こんどはクレハ車体のエアロスターKが絶滅危惧種となりそうです。
折り戸の三角窓はたしかに当時の車の特徴ですね。
ボカシ入りの上下連続窓はずいぶん高級に感じましたがオプションだったのでしょうね?
UD2サイクル6気筒エンジンは独特の甲高い音がしたと思います。
なかなか言葉では言い表せませんが・・・
懐かしいボディですね~。フロントウィンカーは五角形の矢印っぽい形状のように見えますね。
それにしても、この時代から傾斜窓があったとは知りませんでした。
中央バスでは、昭和50年頃のRVあたりからよく見られるようになったと思うのですが、確かに一般的なメトロ窓よりはスピード感があるように見えますし、やっぱりかっこいいですね。
>中央の赤白車もいよいよ残り少なくなってきて、ひとつの時代が終わろうとしているのでしょうか?
最近、中古車両による車両の置き換えが進んでいるようで、赤白車はとんと見かけなくなってきたように感じるのですが、もう全滅したのでしょうか?慣れ親しんだ“赤白塗装”の車両が見られなくなるのは寂しいですね。
ウインカーレンズは市営バスのUD車にも見られた5角形のものですね。
傾斜窓はモノコック車では特にカッコいいですよね~(^^)
いつ頃からかは分かりませんが意外と古いもののようですね。
中央バスでの採用はご指摘の通りRVを本格導入した頃かと思います。
赤白車はまだ90年式と91年式で少し残っているようですね。
比較的腐食に強い富士重工車体を中心に1000番代、1200番代、1500番代あたりでしょうかね。
89年式は全滅のようです。
ホント、寂しくなってきましたね・・・
札幌ではふせ観光の札2う1718や道新観光の札2う1753などがありましたね。札幌の車はすでに台形窓でした。
ふせの1718号は小学校の旅の友で,想い出がたくさんあります。
私の場合は遠足バスの事業者さんは都度マチマチでした。
夕鉄、定鉄が多かったように思いますが、ほとんどUD車でした。
6Rは道新観光で2回ほど乗りましたが快適でした~
それにしても良き時代でしたね~(^^)