中央バス いすゞエルガ・ロマンス車 |
同型のもう1台、1531号も止まっています。
ロマンスシートが並ぶ1530号の室内です。
V8エンジンの加速音を聞くとついウトウトしてしまいます(^^)
いずれゆっくり乗ってV8サウンドを堪能してみたいです。
多分、特急バスのような2列シートの座席配列と想像しておりましたが、まあ大体想像通りでした。ちょっと安心です。
N市のTさんが書いておられましたが、私達の営業所で担当している「基幹バス」が、似たような座席配列です。以前の車両は、中扉前は片側1列片側2列・扉以後は両側2列の座席配列になっていましたが、朝のラッシュ時に2列座席だと対応し切れないので、現行の車両は中扉以前が両側とも一列・扉以後は両側2列の配列に改められました。
機会があれば、名古屋独自のシステムでもあるので、基幹バスをネタにした記事も書いてみたいと思います。写真も含めて、今しばらくお待ちください。
それにしても、エルガにV8車があるのって、またまた知りませんでした。ここのブログを拝見すると、いつも「目から鱗」状態になります。私達の車庫に、キュービックのV8ならありますが、いい音&いい走りで、結構お気に入りです。
N市の基幹バスは運行開始してからけっこう経ちますよね。
今でも「ミッキー」の愛称は付いているのでしょうか?
たしか初代のバスはふそうブルドッグでしたっけ??
基幹バスの記事楽しみにしていますね~
いすゞエルガですが2000年にデビューしてから写真の2005年まで長尺車は
V8を載せていたようです。
ちなみに写真の車はLV280Q1という型式とのことです。
中央バスではしばらくの期間、いすゞエルガを短いLTで導入していたので
エルガV8車は写真の2台だけとなりました。
キュービック世代ではV8車は数台ありますが、すべて富士重工車体なので
キュービック車体にV8は1台も存在しないんですよ。
V8以前の直6高出力車のキュービック・ロマンス車は何台かあります。
中央バスのロマンス車(中ロマ車)はたぶん1970年代から導入されていると
思いますが、当初の座席配列は中扉より前は左右1列でした。
今走っている車は右2列、左は中扉より前が1列となって座席定員が若干増えています。
基幹バスの歩みと逆になりますね~
了解しました~ 明日にでもメールしますね(^^)
セミロマはおっしゃる通り1972年から郊外線を中心に投入されましたが、中ロマが初めて投入されたのは1980年の千歳線だったと思います。
当初はセミロマもハイバックシートで導入されていましたが、1983年頃から一人掛け車と同じローバックシートに変更され、1987年を最後にセミロマ自体の導入が無くなりました。
ローバックシートに変わってからも、セミロマ車は一人掛け車に較べてシートピッチが若干広く、2人掛け座席の割合が若干高くなっていました。
ワンステップにロマンスシートはなんか違和感ありますね。
いっそワンステップ部は独立したロマンス座席を横向きに配置なんてのも良いかもしれませんね。
国際興業深夜バスは1号車のエルガよりも2号車のキュービックのほうが良いシートなのですね。
やはりどこの事業者もコストダウンを進めているのでしょうか?
中央バスのロマンス車ですが、たとえば天井の照明は以前ラインライトでしたが
今は標準車と同じ千鳥配置の照明です。
昔付いていた日よけのロールスクリーンも今はナシですね~
エアコンの利きに影響するので、たぶん本州の事業者では必須かと思いますが・・・・
いわゆる2列シートの「ロマンス車」はボンネット時代からあり,戦後まもなくの札幌市営などでもすでに三方とロマンスの区別があったようです。箱形のバスになったときに,前扉のものを前ロマ,中扉のものを中ロマと呼んだのがこの呼称の始まりのようで,中央バスの「中ロマ」(中扉専用)は1964年まで導入実績があったようです。1972年のセミロマは半分一列なので,中ロマに対してセミロマ,と呼んだのでしょうね。千歳線の1980年車は16年ぶりの中ロマ復活(正式には前中ロマと言うべきか),ということになります。
座席の件、早とちりしてしまい申し訳ないです。
補助席付の路線バスというのは珍しいですね~
札幌市営バスでも貸切兼用で補助席を付けた車があったように思います。
補助席といえば大阪伊丹空港から乗車したリムジンバスで、補助席まで目一杯
使っていたのを思い出しました。
それにしても路線バスのシートって意外と進化しないものですね。
写真のロマンスシートもかなり以前から同じ形で作られているように思います。
解説いただきありがとうございます。
市営バスの中扉・ロマンス車はたとえば日野RB10もありましたっけ?
同型の函館で乗車したことが」ありますが、前扉のない観光型にかなり違和感を感じました。
ワンマンカーのセミロマンス車は中距離用でもある程度混雑することを想定した
座席配置なのでしょうかね?
70年代といえばバス輸送がピークの頃でしょうか。
千歳ターミナル行のバスもかなりの本数が走っていたように思います。
前ロマ車では乗降に時間がかかり参っていたようです。
札幌ターミナルを出て中央通10丁目までに降りると「市内線に乗ってくれ」と怒られました。
札幌に向かう時は月寒ターミナルまではバス停に時刻表が掲載されていましたが、中央通10丁目からは市内線の時刻表しか掲載されていませんでした。さらに降車客がある時はバス停を大きく外して停まっていました。市内の客を乗せたくないのがアリアリでした。
南郷にはセミロマが多数在籍していましたね。
バス窓の赤い座席は446・677・678でしたね。
千歳線はおろか登別や室蘭まで運用していました。
座席が赤かったかどうかは記憶にないのですが、ニセコバスには447・448、672・673と4輌のRCセミロマ車が在籍していました。447は数年前まで余市町の国道5号沿いに廃車体がありましたので、見覚えのある方も多いかも知れません。
これらセミロマ車は倶知安に配属され小沢線を中心に運用されていましたが、当時1往復だけ設定されていた倶知安発着の小樽線で小樽までも足を伸ばしていました。
そういえば中学校時代の友人の父親が札幌ターミナル横の電力会社勤務で、
よく千歳ターミナル行に乗って豊平3-8で降りて帰ったと聞いたことがあります。
市内線に乗るには北1条まで歩かなければならないので、札タ発の千歳行は
都合が良かったのでしょうね~
乗車する際、運転手さんに一言断ってらしいですよ。
36号は市内線も千歳行も物凄い本数が走っていましたね。
東80系統なんて待たずに乗れる感じでした。
とにかく途切れないで次々にバスがやってくる感じでした。
当時の赤い座席に白いカバーは特別な感じがしましたね~
座席の背面や内張りも木目調で高級感がありました。
登別や室蘭はちょっと遠い気がしますが、一人掛け席はけっこう快適に思えました。
座席が緑色になったのは75年くらいでしたね。
ちょうどいすゞやふそうも加わった頃だったと思います。
日野はまだバス窓でしたが前扉の窓が上下に1枚になってカッコいいなあと思いました。
中央バスの余市には昔からセミロマ車や中ロマ車が多く在籍していました。
73年式の669、670、671、677、678は日野RCで赤い座席に白いカバー、バス窓のセミロマ車でした。
中ロマ車も在籍しておりまして、77年式の1886、1887が富士13Eの日野RC、1920、1921、1922がふそうMP117です。
同年式の富士13E・日野RCで1885もありまして、これも中ロマ車ですが小樽の真栄でした。
緑色の座席に白いカバーでしたが、1885だけ緑色のカバーだったのを憶えています。
余市はロマンスシート車の宝庫だったのですね~
赤い座席に白いカバー懐かしいです。
私の近所の路線が市営バス24系統から中央バス東72系統に置き換わった頃(73~74年?)
の記憶では、まだ赤い座席のロマンス車しかありませんでした。
南郷の日野RCバス窓「セミロマ車」やトップ扉のUD、ボロイ(笑)けれどリクライニング座席付の日野
など赤い座席に白いカバーの車が時々やってきて楽しめました(^^)
セミロマ車がはじめて緑の座席になったのは75年式1099、1100あたりの日野だったように
記憶しております。
市内路線用の座席の色もこの年から変更になって、落ち着いた緑色から
彩度の高い鮮やかな緑になりました。
緑色座席のロマンスシートはとても新鮮で好きでした。
当時は木目調パネル+肘掛にも白いカバーが付いて高級感ありました。
すいません・・・続きですが、
富士重工13E+日野RCの中ロマ車は乗車した記憶が無いのですが、廃車体が空知方面にありました。
元余市か小樽の車かもしれませんね。
緑カバーのロマンス車は見たような気がするのですが・・・あまり憶えていません(^^;;;;
札幌にもあったのでしょうかね~??
余市営業所の1-18-85・86、1-19-20・21・22ですが、中ロマではなくセミロマだったような覚えがあるのですが、具体的にどんな座席配置だったか覚えておられますか?
当時の中央バスの資料を見ても、当該車輌はセミロマと記されています。
ただ、同年式の他営業所のセミロマの定員が86前後なのに較べて当該車輌のそれは80前後と若干少ないので、そのぶん座席定員が多く取られていたのかなと思います。
ただし1980年式のRC中ロマの定員は78なので、それよりは座席数が少なかったのではないでしょうか。
私が美国に住んでいた頃は確か1-19-20が美国在勤だったため何度となく乗車しましたが、中扉の前方に二人掛け座席は無かったような気がします。
677・678は押しボタンは緑で押すと「チン」と鳴り運転席後ろに「つぎとまります」が点きました。
669~671は押しボタンは赤い点灯式で押すと「ピンポン」となりました。
同型でも事業部によって仕様が違ったのですね。
シートの色ですが、1099・1100は落ち着いた緑でした。鮮やかな緑になったのは1194~からだったと思います。
13Eのナカロマは南郷にも2830~2834・3131が「ちとせ号」担当していた期間在籍していました。72系統にも入っていました。
日野RC1885~1886、ふそうMP1920~1922ですが、間違いなく中ロマです。座席配置は運転席~最後部のひとつ前まで、二人掛けのシート、前扉~中扉間が一人掛けが5列、中扉以降は二人掛けになっていました。昭和55年~58年当時、余市町~小樽市の某高校までバス通学しており、良くこれらの車両にはお世話になりました。座席が多いのは良いのですが、朝夕のラッシュでは通路が込み合い、降車するのが大変でした。
“緑のシートカバー”ですが、1886の他、2276(RC321)も装着されていました。ただ、最初は他車と同じく白いカバーだったと思いますが、落書きや破られたりなど破損が目立ったので、緑のカバーに交換されたのだと思います。ちなみに、2276は今では当たり前になったデジタル表示の運賃表を余市地区で最初に搭載した車両だったと思います。通学時に乗り合わせた同級生と“電光掲示板だ!”驚いた思い出があります。
こんにちは。
空知方面にも13E+日野RCは存在していました。
全部は把握していないのですが、旭ナンバーから札幌22か・111に登録替えした車両が晩年は石狩に転属し、一部の車両は美鉄バスに移籍していました。共にセミロマでした。
今では札幌近郊でも中ロマ車は珍しくありませんが、昔の中ロマ車は小樽・余市にだけ存在していたのかもしれませんね^^
>某館長さん
こんにちは。
真栄の1885、余市の1886,1887、1920~1922は中扉より前の右側は2人掛け、左側は1人掛けの座席でした。
今で言えば2518や2262、2412などの座席配列と同じような感じです。
>Ncity-Tさん
こんにちは。
緑色の押しボタン懐かしいですね!!
私の記憶では669と678が緑色の押しボタンで、670・671・677が赤い点灯式だったはずです。
転属暦も670・671・677が余市から平岡に、669と678が南郷→余市→石狩ではなかったでしょうか?
北海道博覧会のシャトルバスに670・671・677が使われていたのを記憶にあるもので。。。
こんにちは。
669~671、677、678の押しボタン、転属歴については、Ncity-Tさんの仰るとおりだと思います。669~671は同じ仕様・連番で昭和48年頃余市に配置され赤い点灯式のボタン、677、678の2両は緑の押しボタンに運転席後ろに“つぎ とまります”の緑の表示が付いており、いつ頃かはっきり記憶しておりませんが、昭和50年代前半に余市に移動してきたように思います。
この頃のRCはパワーが無かったのか、登坂路のバス停で停車すると、よくエンストしそうになっていましたし、加速も他のRCセミロマより悪かったように感じました。
>北海道博覧会のシャトルバスに670・671・677が使われていたのを記憶にあるもので。。。
北海道博覧会はたしか私が高校3年位の時に開催され、友人二人と小樽~札幌間を往復国道経由のバスで行ってきました。その頃すでにK-RC321の新車に置き換わっていたはずですから、669~671、677、678、は小樽地区には居なかったと思います。
この頃の中央バスの点灯式ボタンは記憶に無かったです。
私はたぶん乗車していないのでしょうね~
やはり馴染み深いのは緑色のボタンに「つぎ止まります」と「チン!」ですね(^^)
1099、1100は落ち着いた色の緑でしたか・・・失礼しました(^^;;;;
過渡期のような、ある意味貴重な2台だったのですね~
札22あの2800代あたりの車は札幌を離れて通学でも利用しなくなった頃
なのでほとんど乗車した記憶がありません・・・(汗)
日野ボディーのRCは運転席窓が角ばった特注?だった頃でしょうかね?
富士重工車も運転席窓を拡大していましたっけ??
RC時代のロマンス車は中扉より前は一人掛け座席と思っておりました。
2人掛けはスケルトン世代になってからかなあ~なんて思っておりました(^^;;;;
毎日の通学で中ロマ車に乗れるというのは羨ましいですね(^^)
たしかに通路が狭いので混雑したときは移動が大変ですよね~
緑のシートカバーはやはり交換されたものだったのですね。
シートカバーは白いほうが良いなあと思うのですが、斜里バスのふそうB8が
緑の座席に緑のカバー?で、おおっ渋いっ!て思いました(笑)
2276の運賃表はデジタル式の試験導入だったのでしょうね。
思えば巻き取り式の運賃表も懐かしいですね~
私の愛用していた東72系統は均一料金だったので、一般路線車には
巻き取り式の運賃表は装備していなかったような気がします。
運行区間のバス停名と均一料金が表示された差込式の鉄板が付いていたと思います。
>昔の中ロマ車は小樽・余市にだけ存在していたのかもしれませんね・・・
地域限定の特別な車だったのですね~
札幌~千歳線の激混雑に対応した苦肉の仕様が「セミロマ」とすれば
小樽・余市地区はそれに合わせる必要は無いわけで、座席数を確保した片側2列仕様
を採用したということなのでしょうね?
Ncity-Tさんのブログで紹介されていた1797号のように完全4列仕様のバスが
導入されたというのも座席数を増やす狙いがあったのかもしれませんね。
昔のRCは非力な印象がありましたね~
加速感ではREとさほど変わらなかったような感じでしたね。
外で聞くと排気音が例の「ぶりぶりぶり~・・・」という感じでした。
たしかエンジン出力は200PSくらいだったと思います。
2281あたりの一般路線車リーフサスなのにRCという車では明らかに力強くなり
加速も背中が背もたれに押されるような感覚になりましたね~(^^)
室内も天井のビスが少なくなるなど完成度が高くなったなあと思いました。
とりあえず手元の資料からわかることだけコメントします。
(1)樽部の77年車ですが,記録では「セミロマ」となっています。ところがこの時代のセミロマは定員が85〜90名くらいが普通なのですが,1-1885〜1887は81名,1-1920〜1922は79名で,定員から見ると中ロマと推定されます。ちなみに同年の札部・空部のセミロマは86名(5-1873〜7-1884),85名(5-1923〜1935)で80年以降(5-2830〜)の千歳線中ロマの定員は77〜78名です。
(2)富士13E日野車ですが,空部にたくさんありました。7-1581,1604〜1615の76年式(定員87名)が一番多いグループですね。あと旭22あのナンバーをつけた富士車も多かったようです。
(3)RC車のエンジンですが,77年の5-1930(RC320)までが予燃式DK20で205ps,78年の5-2273(RC321)から直噴式のER200で220psにアップしています。私は札幌市営車(81日野)によく乗りましたが結構体感パワーが違っていた記憶があります。
RCは直噴エンジンになってから吹け上がりもよくパワフルになったのですね。
そういえばエンジン音も変わりましたね。それでも静かでしたが・・・
それまでのREやBU-Dは175PSでしたからかなり力強いですよね。
ふそうMP系は一足先に215psとなり(6D20)セミロマに多く導入されましたね。RE系もRC系とほぼ同時期に出力アップして190psになりました。ちなみに日産U20系は185ps,U30系が230ps,いすゞCJM系が220psで,80年以降は200ps超が標準となったようです。
80年代の出力アップはやはり本州の路線バスの冷房化が進んだためでしょうか?
170~190psのパワーではサブエンジン式、直結式問わず非力なのでしょうね。
70年代後半、京都市交通局のBUがサブエンジン冷房を付けていたのを見た記憶がありますが、
ラッシュ時は相当重かったのではと思います。
85年頃の大阪でも阪急バスでは非冷房のMR系が走っていましたが、
MP系は冷房車だったと思います。
真夏の蒸し暑いときに西工のMR410?が窓全開でやってきたときはがっかりしまた(笑)
冷房の搭載を前提にパワーアップしたのであれば、中央のRCは非冷房なので
エンジンにしてみればかなり軽かったのでしょうね~
はじめまして。
669~671・677・678についてはhiroさんも補足していただいている通りです。
道博に使われていたのは669~671と思います。
hiroさん、
はじめまして。
補足ありがとうございました。
確かにこの頃のRCは力がなかったと思います。実家の最寄のバス停が坂になっていますが、超満員の時は第1速で発進する時がありましたからね。74年式の1035あたりになると少し良くなったようです。同じエンジンでも年式によって差異がありますね。
80年には、従来通りのセミロマ車と少し仕様のデラックスになった車両が同時に入ったので後者を「ナカロマ」と区別したという事でしょうか。
RC320とRC321と両方乗ってみましたが、力の差を感じました。
REとRCではもっと差を感じましたよ。RE121で直結冷房はひどかったです。冷房をかけて満開アクセルでも加速しませんからね。乗り比べるとRCは楽でしたね~。
やはりハンドルを握ったことのある方のインプレッションはありがたいですね~(^^)
私は乗客として乗ったことしか無いのですが、一番モッサリした加速だったのは
南郷にいた、もと札2ナンバーと思われる札22あ1055前扉リクライニング車でした。
エンジンの音もモワーッというこもった様な音でしたね。
ところでRCターボのほうはやはりパワフルでしたか?
一度だけ乗った鹿児島交通の車は、室内ではふそうB8/B9のようなドドドドッという
音でしたが、背中を押されるような加速感ではなかったですね。
突然書き込みまして、大変失礼いたしました。
>外で聞くと排気音が例の「ぶりぶりぶり~・・・」という感じでした。
懐かしい!確かにそのとおりですね。当時、余市方面はRCの比率が高かったので、この手の排気音は日常的に耳にしていました。それにしても“赤白”の車両がめっきり少なくなり、寂しい限りですね。
Ncity-Tさん、はじめまして。
さすがにハンドルを握っている方のインプレッションは説得力ありますね。私もvanagon714さんと同じく乗客としての感じたのですが、RC320では3速全開でないと登れない坂道でも、RC321は4速でグイグイ登っていくのには感心しました。エンジン音も力強くて好きでしたが、高回転まで回すと結構“爆音”で、車内放送が聞きづらかったように思います。
爆音で思い出しましたが、昭和50年代中期には、余市方面では珍しかったいすゞBUのセミロマも走ってました。ギヤ比の関係もあったのかも知れないですが、こちらもなかなかパワフルな印象を受けました。
5-1055は後部のエンブレムがRUのやつで米粒テールがやや上のほうに付いていましたね。改番車なので函館帰りか元旭川ナンバーでしょうね。整理券001が付いていました。
RCターボ(RC320PT)もイマイチ加速は良くなかったですね。道央自動車道に乗りましたが亀でした。よっぽどRC301の路線車の方が加速は良かったです。
PTの排気音は「ビチビチビチ」でした。車内の音は仰せの通り「ドドドッ」という音でした。
hiroさん、
日野のエンジンは高回転で出力が出るので回転を上げないと坂を上れませんね。
BU20Dのセミロマが3台ありました。1259(南郷)、1267(岩見沢)、1268(岩内)でした。当時のいすゞは音の割には走りませんでした。1259は特急運用で登別温泉まで走っていましたから、今考えると、よくあんなので登別まで行ったなと思います。
>日野のエンジンは高回転で出力が出るので回転を上げないと坂を上れませんね。
なるほど、そうですか…。確かに日野車は“回さないと走らない”って印象ありますね。だから少々びっくりしたんです。私が乗車したRC321はギヤ比がローギヤードの設定だったのでしょうか?平坦路では、早め早めにシフトアップしていき5速を常用している運転士さんも居られましたし…。後に乗ったK-RC321では同じような場面で4速では登れず3速にシフトダウンしていましたから、当時は不思議に感じてました(^_^;)
BUセミロマも何度となく乗車したのですが、どうしてもナンバーが思い出せないです。それにしてもセミロマ車で登別まで走っていたというのはスゴイですね。距離的に考えても小樽~積丹余別の比ではないですからね。
赤白車はほんとうに少なくなりましたね・・・寂しい限りです。
エルガあたりでヘリテイジ塗装として復活してほしいですね~
BUのロマンスシート車はNcity-Tさんの仰るとおり南郷にも1台いました。
いすゞのセミ・ロマンスは身近に1台だけだったので、どうしても乗りたくて
1975の冬に急行千歳空港行に乗ったんですよ~(^^)
エンジンの音とギアチェンジを聞いていると・・・
市内路線用・・・5速直結
セミロマンス車・・・4速直結+オーバートップ5速
hiroさんのご指摘どおりギア比は違っていたように思います。
1055はRUのエンブレムが付いたRCでしたっけ??
たぶん特急芦別線なんかに使われていた札2う36-19あたりと同型かなあと
思いますが定かではありません。
とにかくエンジン音も乗り心地も、車内の雰囲気も「ユルイ」感じの車でしたね~
7-3619はおそらく68年式で,札部だと5-2716〜2724,2756〜2762あたりと同期かも知れません。このうち函館〜札幌戻りの車があり,札22あ400番前後をつけていたようです。リクロマは赤3連テールを後付けしたものもあるようです。
本来日野車は回さないと走らないのですが、中央の場合は回転数にうるさいので、低回転でシフトアップして5速に入れるという運転操作になってしまいますね。
日野車のギヤ比ですが、セミロマは78年式のRC321まで標準速(最高速95㌔)設定でした。ですから2278号あたりは4速でスイスイ登坂し、早めにシフトアップして5速で楽々といった運転になりますね。
K-RC321Pの3243号になると準高速ギヤ(最高速110㌔)になるので登坂では4だとちょっとキツイので3速満開になると思います。
余市付近で走っていたBUのセミロマは1268号だと思います。樽部のBUのセミロマはこの車しかありませんからね。
1054~1056までRUのエンブレムが付いたRCです。
晩年は窓がパタパタして、1054は力も落ちて坂道発進では1速を使っていました。
ギヤ比は年式や事業部や用途によって様々です。
札幌の一人掛けのBU20Dは5-180前後から5-2195あたりまで5速直結でしたね。南郷の184だけ晩年標準速に変更されました。
36-19は良く見るとリクライニング無しのロマンスシート車、前ロマと呼ぶんでしたっけ?
10-55は1969年式だったのですね~
私が何度か乗車したのは75~76年頃でしたから6~7年落ちというところでしょうか。
乗ってみるとずいぶんくたびれたような印象を持ちました。
今で考えると2002年あたりの車ですから、まだまだ新しい部類ですね~
直結5速は4速がまだ加速用という感じのエンジン音が聞こえましたね。
36を4速で巡航する運転士さんと5速まで入れる運転士さんがいました。
セミロマのBU20Dは非力エンジン+リーフサスでしたから、仕様的にはRCセミロマより
明らかに劣ってましたね。
260ps、エアサスのBU20KP型だと余裕があって良かったのですが・・・
詳細な解説をいただき、ありがとうございました。
>セミロマは78年式のRC321まで標準速(最高速95㌔)設定でした。
確かにシフトレバー前方のパネルに“最高速95㌔”のステッカーが貼られていたように思います。
当時、結構回す運転士さんが多かったように思うのですが、2276の担当運転士さんは、あまり回さず早め早めにシフトアップしていましたから、今思うと“省燃費運転”のハシリだったのでしょうか?ブレーキングもソフトで、乗客に優しい運転をされる方でした。
BUセミロマは、朝の通学時に来た試しは無かったですから、やはり小樽の車両だったんですね。
5-・・90以前のBUのギヤ比は標準速でしたので、36号線を殆どの担当者が4速巡航でしたね。
この後のBUは直結5速だったので5速まで入れる担当者が多かったです。
BU20Kが導入されたのは78年、北に5-2212が1両入りました。同時期に平岡に5-2191~2195までBUが入りました。
力の差が歴然としていました。
この後79年石狩に5-2571~2573が入り、2571・2572は南郷に在籍期間がありました。72系統にも入っていましたよ。36号線も軽快に走っていました。
hiroさん、
当時は回し放題で、回転を上げ過ぎて故障させないように、メーカーの警告でしょうか、「2速25㌔、3速48㌔、4速70㌔、5速95㌔」なんてパネルに貼ってありましたね。
南郷のスタフ表には、「アクセルの全開はやめよう」と書いてありました。また、運転席付近に「時間待ちエンジン停止」なんていうステッカーも貼ってありました。
乗務員各々運転にはクセがあり、回す人、飛ばす人、走らない人等、百者百様ですね。
晩年に北の2500台のBU20Kに乗りましたが、なんか軽い感じでした。
エンジンの音が違うなあと思い、銘板を見るとBU20Kと書かれていて驚いた記憶があります。
>乗務員各々運転にはクセがあり、回す人、飛ばす人、走らない人等、百者百様・・・
仰るとおりでしたね~
見ていて面白かったですね(^^)
回して目一杯引っ張る運転士さんは、ときどき北都交通のB8と信号でバトルに
なってましたね(笑)
あまりにも回す運転士さんがいたので、帰宅してから父親に話すと、
「そりゃ~回すとエンジンが調子良くなるんだぞ」と教えられました。
省エネ運転は大事ですが、個人的には回して引っ張ってもらえると楽しいですね(^^)
>乗務員各々運転にはクセがあり、回す人、飛ばす人、走らない人等、百者百様ですね。
仰るとおり、当時は運転士さんそれぞれの個性が判りやすかったですね。確か、オーバーレヴ防止のブザーって付いていたように思うんですが、回す人だとブザーがたびたび鳴っていましたね。
vanagon714さん、こんばんは。
>ときどき北都交通のB8と信号でバトルになってましたね(笑)
札幌からの帰り道、旧国道5号線琴似~宮の沢あたりでも、私が乗車していた中央バスB8札樽線と国鉄バスのバトルが見られましたね。私の実家は田舎ですから、こんな場面に出くわすことなどあるはずも無く、ちょっとびっくりでした。でも、なかなかの迫力でした(^^)
やはり、回してくれた方が乗ってても気持ち良いですよね。
札樽線のB8も懐かしいですね~ 思い出しますね(^^)
国道経由の急行便はうねうねとしたアップダウンをエンジンブレーキや排気ブレーキを
うまく使いながら走ってました。
>オーバーレヴ防止のブザーって付いていたように・・・・
そうそう、必ず鳴らすまで引っ張る運転士さんがいましたね。
2速でプー、3速でプーと、信号とかバス停から発信するたびに賑やかでした(^^)
BUには運転席のパネルの右側にブザーが付いていましたね。まずオレンジのランプが点いて、さらに回転を上げると赤いランプが点いてピーッとなりましたね。スピーカーに醤油を垂らして鳴らなくしたという話を聞きました。
日野は足元にありました。こちらは線を抜いて鳴らなくしたそうです。
国鉄バスも回し放題回していましたね。乗っていて気持ち良かったです。
各社並ぶとバトルやってましてね。乗っていて、ついついこちらも「行け!行け!」なんていう気分になりましたね。
最近は省エネ運転であまり回さないので加速が悪く、よく信号に引っ掛かって「ア~ア~」なんていう気分です。定時運転か経済性か難しいところですね。
そういえばランプ付いてましたね~
醤油をスピーカーに垂らすというのも凄いですね(^^;;;;
たしかにいちいちブザーが鳴っていては運転に集中できませんしね~(笑)
最近のエルガに乗ると、回さないしエンジンも静かですが・・・
BU時代の引っ張って爆音というのも捨てがたい魅力ですね。
そういえばREでも目一杯引っ張る運転士さんがいて、けっこう伸びる
エンジンなんだなあと思ったことが」ありました。
最近のエルガこそ回さなくては走りません。排気量が少ないので回してターボが効いてきて威力を発揮します。回さないとアクセルを踏んでもスカスカで力がありません。
REですが、中央は4速仕様でしたね。N市営もそうでした。2速で32㌔、3速で50㌔、4速で80㌔でしたね。回してつないでいかないと加速が悪いです。
たしかに小排気量+ターボ車はある程度回して過給しないとトルクが出ませんよね。
見ていると我慢してキーンというターボ音が出る頃にシフトアップしていますね。
JHBノンステ・ブルリⅡのようにATのほうがマッチングが良いかもしれませんね。